おたくじゃなくなっていく、紙の話。
まだ生きてます。
2019年10月某日。
キッチンの電球(長いこと切れてた)を付け替えて、ふと、生活を、変えよう、と思い立てたことからおそうじを始めました。
一人暮らしの私の部屋は、間取りは1kで、10月某日の当時、廊下には大きな段ボール(中身は服、本、雑貨)が3つ並び、足の踏み場は無いも同然。リビングはドアを開けてすぐのところ以外、物で埋まっていました。どう暮らしていたかというと、不自由に暮らしていました。
そうじをはじめてからおよそ2か月経った現在、私の部屋は、「生活能力が欠如してる人が引っ越したてから数か月、まだ家具を揃えてないのだね」程度の片づき具合・あるいは散らかり加減になってます。
片づけの基本は「捨てること」だとよく見かけます。事実、そうなのだろうと思います。
私、ここ2ヶ月で軽トラ1台分ではすまない量の物を捨てたんじゃないかな。
一番処分したのは、本と紙です。
私はオタクです。あるいは、元オタクです。
なんで物を処分出来たか、を、考えてみると。
同人から、『すっぱりはっきりきちんと気持ちが離れた』が大きいと思います。
熱意を保てなくなった。
同人誌や、オタクの日記を、ある種拠り所にしていたけど、拠り所とするにはあやういな、と考えた(のかもしれない。ここは今も曖昧です)。
自分の絵や漫画も、過去のものだ、と思い切れた。
脱オタしよう、と思い立ったわけではありません。一番適切なことばはきっと、『諦めがついた』。
現在、pixivにも、ツイッターのオタク専用アカウントにも、長いことログインしていません。
大量に抱えていた同人誌は数冊残して全て手離したけど、残した数冊を読むことは今時点まで無い。当たり前に絵も描かず、小説も書かず。
心が中々動かない。もう、萌え、とかが無い。
絵を描かない、描けないことに焦りが無い。
文章を書かないことにも、抵抗が無い。
アウトプットの為に急いでインプットしようとも思わない。
きっちりと離れているし、たぶん、当分近寄らないんじゃないかなあと思います。完全に筆も折ったって言っていいんじゃないかなと自分では認めてます。
-私の場合、部屋の中を占めていて、捨てられずにいて、かつ、場所を塞いでいたのは、実は同人誌ではありませんでした。同人誌は袋に入れたり、並べたりして、押し入れにほとんど全部収納していました。大事にしてたんですね。ほこりからも光からも守ってたので、処分するとき、値段がつく状態のものがほとんどでした。
一部のお気に入り同人誌を布団の側の袋に10冊くらい、パソコン置き場に数冊、机の上に1冊。限られた精鋭以外は、押し入れ。
部屋を占領していたのは、場所を塞いでいたのは、紙です。
シンプルに、紙です。主に、プリントアウトした紙。そしてクロッキー帳やメモ帳やスケッチブックや落書き帳。
「プリントアウトした紙」って何だ? というと、ウェブサイトをプリントアウトした紙です。
「ウェブ日記をプリントアウトした紙」「ウェブ絵日記(オエビ)をプリントアウトした紙」、「二次創作サイトの二次創作小説をプリントアウトした紙」、「pixivの絵や漫画をプリントアウトした紙」、「自分の小説をプリントアウトした紙」、「自分のメールをプリントアウトした紙」「調べものをプリントアウトした紙」。
とにかく、好きなサイトを印刷してました。
そして、溜めてました。
実際印刷した紙を眺めたり、読んだりしてた時期も確かにあったのですが、2019年10月某日にはそういったことはもうしなくなっていました。
もう閉鎖してしまったサイトの小説や日記を印刷した紙もあったので、中々捨てられず。ずっと好きだったサイトだったのもあり、山積みになっていました。
でも、読んでないんです。
手にとってないんです。
(このサイトの日記、好きだったなあ)と思ったりしながら、大量の紙を抱えて、都度の足の踏み場を確保してました。紙は7割くらい、透明なファイルに50枚~しまい、あるいは紙のファイルに閉じたり、紐を通して束ねたりしてました。
繰り返しますが、読み返してないんです。
中には印刷するだけして満足して、印刷した紙を抱えるだけ抱えて、読み返す以前に、読んでもない紙もありました。
昔の同人サイトの日記って、とっても赤裸々だったりしました。勿論、言えないこと言わないこともあったでしょうけども、暮らしぶりや、考えてること、職業について語る人もいました。将来への不安を日記に綴っている人もいました。それらの日記を印刷したものを所持していることで、「将来への不安」を共有した気になっていたのかもしれません。
赤裸々な日記はかつて、何度か読み返したりしたものでした。でも、もう、何年だろう? 5、6年は、置いてるだけになっていた。
好きなサイトのテキストを、まず、1クリアファイル分ごみ袋に捨てました。すると、じわじわと、ああもう私には必要なくなってしまったものなんだな、もう読む私ではなくなってしまったんだな、と、気分が軽くなるような、足元がおぼつかなくなるような、すっきりするような感覚がやってきました。一度捨てると、あとはもう、半ば作業です。思い出に立ち止まってはいられないので、無心にやる。
紙(の束)が部屋から出てくる度、中身が重要そうな書類でないことだけ確認して、無で捨ていきました。はじめの「1つの紙ファイルを捨てる」に、心が定まるまで、実は背景で数年かかったんじゃないかなあと今振り返ると思います。
未練が(ほぼ)消えているのが不思議でもありますし、いつか後悔するかもしれませんが、今は(そこまで)後悔してませんし、文字にして打ってみると「紙て……」です。
思い切りよくなれただけか、うつなのか、躁なのか、ともあれ「紙」を平気で手離せるようになってから、私の中の同人関係のあれやこれへの熱意や執念や所有欲が加速的に消えていき。
スケッチブックやクロッキー帳、メモ帳、同人誌も、紙を処分しきったら出来るようになっていきました。
時間が過ぎ去ったのだ、と、考えています。
まとまりが無い文章だなあ。
きっと近いうちに未来の私が編集し直すでしょう。頑張ります。