実はまだ生きていて
訓練事業所には通っています。
どうしても合わないということで、三月に担当スタッフを変えて貰って、以来特に問題なく通っています。まだ週に三回通所(二回在宅訓練)です。
前のスタッフさんは子どもに接するように優しく話すスタッフさんだったのですが、その「子どもに接するように」話されることがどうしても辛くなってしまったのでした。今のスタッフのかたはごく普通の敬語で話してくれるので、助かります。
今日も通ってきました。
三月から、希死念慮が消えています。
三月からではなく、もっと前からかもしれない。死ななければならない
という謎の焦燥感と義務感は消えていました。ここしばらく、凪いでいました。
今日、突然、胸のあたりがぎゅっとなって、視力が一段階ぐっと落ちて、体の上半身をなにかに捕まれているような、でも具体的な痛みは何もない、覚えのあるつらさがやってきて、今すこししんどいです。立っていてもしんどいが、座ってもなんとかなるわけではない。痛いわけではないので痛み止めもきかない。鉛のように重い。動けなくなりそうでぞっとする。しかし希死念慮はない。
こういううつ転は久しぶりかもしれません。
視力が一段階落ちた感じになって(もっというと、世界にベールがかかったようになって)、PCもスマホも本も見るのが辛いから、やや手持無沙汰になり、かといって寝て逃げたらまた数年前の寝たきり生活に戻ってしまう。いよいよどうしようもない。
ということで、掃除を念入りにしようと思います。
五月の頭に鍋を焦がしてしまって、またしても自炊をサボってしまいました。
今は野菜を切っただけだったり、納豆をそのまま食べたりしています。
鏡を見たらすごく老けていてびっくりしました。
すごく老けていることを実感すると、自分の年齢を思い出し、母の今の年齢を思い出し、彼女は無事だろうか、元気にしているだろうか、と考えてしまい、おそらくそれでも落ちています。会ったら3分で仲たがいすることは分かっているし、私と一緒にいても彼女は幸せではないだろう、多分、と考えてどうにかしなければ。本当か?
※※※追記
上記のようなことをつらつら書いてしばらくしてから水を飲んだら水も喉にひっかかるくらい喉が痛くて、あれ、風邪……? ってなりました。体のほうの不具合もあったみたい。寝て起きたらこの「ぎゅっ」と私を締め付ける苦しさが無くなっていますように。ちゃんと寝て起きる為に今は起きておくぞ。軽い掃除だけします…。
※※※追記2
念入りに掃除出来る集中力がなかった。軽く掃除だけして、すぐ近くの本屋に出かけて本を探して、でももう立っても座ってもいられない、このまま穴に落ちてしばらく苦しむパターンだ、どうにか防がねば、マシになりたい、外に出ておかねば、でもなあ、と考えながら帰宅して、湯船をはってお風呂に入りました。いつもシャワーで過ごしているので、お湯をはるのは久しぶりです。浸かって、あたたまって出たら、ぎゅーっという辛さは少し緩和されました。お風呂すごい。
*
でも最近、ここ数か月、髪の毛が抜けてしまってはげてきていて、髪を乾かすほどに悲しくなるのだった。髪が多すぎるのが悩みだったのに。
*
夕食用のトマトと納豆と牛乳は用意しているのだが、喉になにかつまってるように食欲がなくて、食べられないかんじ。
*
本を読んでみる。『大人の発達障害』。
かつて現実逃避に読めたエッセイや小説は、今は少し、楽しめない。
たぶん、これは、うつ転にみせかけて、いやうつに近いのだけど、混合状態…………。どうにか落ちないようにしたい。
明日は在宅訓練です。