まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

洗濯をしたり、布団を干したり、お風呂に防カビ剤を焚いたり。

次の通院の為に話したいことを纏めておかねば、と思う。

優先したいこと
・欠席はせずに通所出来ている(週に3回だけど…)
・睡眠日記によって睡眠時間の管理は(一部)出来ている
◆突然うつ転した
◆突然うつ転して、何もかも駄目になりそうだったので、その日の夜、ストックしてあった(飲み切ってなかっただけだ)ビプレッソを飲んだ
◆ビプレッソのおかげか、『底に行く前』の段階ではいるが、あまりフラットではない。底は多分6月1日と2日だった。ぐっと鷲掴みされたように体が重かった。薬を飲まないと落ちるかもしれないし、落ちないかもしれない。
◆薬のせいかうつ転のせいか寝すぎてしまう。8時40分過ぎ等に起きる。ずっと横になっていたいと考えてしまう。
◆躁の気配もある
◆この感じをどう管理しよう? 出来るだけ、一日に済ませる用事を一つにしようとはしている
・こわいのは、時々多幸感のようなものがやってくること。

・うつ転で体重が1.5キロ減りました。でも夜ビプレッソを飲んだ後の謎の食欲で夜中にものを食べてしまうのもきついんです。
・私の髪の毛ってこんなに薄かったですか?
・ポリタミンはなぜかストックがあるので、今回は少なくて大丈夫です
・痛み止めを出していただけると有難いです


◆を伝える為に、他を削らねばならない。
順番に説明するのは難しい。

洗濯物を干して、PCを見るでもなく見ていたら、突然数秒間の耳鳴りがやってきて、去った。
母と暮らしていた頃、といってももう17年前なのだが、暮らしていた学生時代はほとんど常に耳鳴りがしていて、人間は常に耳鳴りする生き物だと思っていた。働きだして一人暮らしを始めて、ある夜耳鳴りがしないことに気づいて、「ピ―――――」は消えるものなのか、ととても驚いたものだった。今も母と同じ空間で過ごしたら、耳鳴りがするのだろうか。
九割九分私が悪くて、でも母だって一分くらいよくない、と念じたりしているのだが、冷静になると十割私が悪いのだ。いやもう、どちらが悪いのだ、と決めることは、意味がないのだ。一緒には過ごせない。それだけは確かだ、と常に再確認しなければ、実家でもいいじゃないか、と何かが囁いてくる。こたつで寝ている母。テーブルの上に、新聞や広告に「○○(姓)××(名)」と名前がいくつも書かれている。○○(姓)は母と私の姓だ。××(名)はいくつか、それぞれ違う名前だ。私の名前ではないいくつかの名前は、「もしこの名前にしていたら、まともな子に育ったかもしれない」という母の過去の振り返りらしい。「この名前なら素直で優しい子に育ったかもっていうシミュレーション」と母は言う。三日に一度は見た景色、まだ帰郷をしていたころ、夜になると机の上に『この名前ならましだったかも』リストが並んでいる。あれを見るのは、結構苦しい。


このところスーパーの野菜売り場を歩くたび、野菜の値段に驚く。
昨日70円だったトマトが今日は98円だ。