まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

ときどき正しく気が狂う。

生きてます。

 

真夜中、ふと。目が覚める。真夜中か夜明けが近いか実はまだ22時くらいか、だとかは分からない。暗くて、夜で、静かで、消灯して、一旦眠りについてから、しばらくは経った、という時間に目が覚める。感情や思考より先に、口から声がでる。「ああああ」。うなるような、低い声が続く。「ああああああ、うあああああああ」。叫んでいる。というには大きい声ではないが、叫んでいる、と自分に思う。「ああああああ」声が途切れる。なんだ? と思う。なんで叫んだんだ? と思う。同時に部屋にものが少ないこと、今、年金で暮らしていること、仕事はいつ見つかるか分からないこと、かつて楽しかった同人誌や、昔いっとき夢としていた絵や、仕事として拘っていたものの半端に終わってもう執着しなくなってしまったがゆえに興味がほとんど失せてしまったデザインのこと、今まで生きてきた、無駄の多い人生、人にかけてきた迷惑、冷蔵庫になにもないこと、先々月ようやく捨てた古いお米が2011年のものであること、本を大量に処分したこと、処分しても処分しても困ってはいないこと、ただ何か欠けていっていること、無職であることなどがいっぺんに頭に直接押し寄せてきて、もう、だめだ、と思う。もうだめだ。もう辛い。この先に何があるんだろう? かろうじて食つなぐという生活、だろうか? 生きがいは無くていいとして、わずかに何かを楽しみにすることが出来るだろうか。何かを楽しめるのだろうか。何かで満足できるのだろうか。身につけたものも身につけようとしたものも全部どうでもよくなっていて、というか年月を挟んだデザインなんて通用しなくなっていて、つぎはぎで作ってはいたけど、もうつぎはぎする気力なんかないしデザインなんて、と「なんて」をつけてしまうくらい、デザインなんてどうだってよくなっている。素敵もかっこいいも可愛いもどうだっていい。何もかもどうだってよくなっている。生きてもどうだっていい。死んだっていい。辛い。一斉に、寝ている私に現実が矢のように押し寄せてくる。そしてまた声が出る。「あああ」、ああああ、呻ききったら、呻き終えたら正気にもどるから今だけ声が自動的に出ることを許してほしい、アパートでどうこう言われないようなおさえた声で呻く。気が狂ってると思う。気が狂ってる。声が続くうちに、本当の本当に全ての自我が失われて叫びだすのではないかと自分を疑う。声を出すのに疲れる。「ああ」。「あ」。呻くのを終える。

 

夜なので静かである。車が一台通り過ぎた気配がする。しんとしている。寝るときは暖房を切っているので、布団の外は寒い。寝返りを打つ。

 

狂った時間が終わる。さっきまで私はたしかに正しく気が狂っていたように思う。そのような夜が、時々ある。昨夜はまさに、そのような夜だった。呻いて、声が出て、声を出すことに疲れて、途切れて、夜の静けさに頭が冷えていく。現実は何も解決していない。解決していないから気が狂っていたっておかしくない。酷い状況なのだから、平静な顔をしてネットサーフィンしたりしてるほうがへんなのかもしれない。友人とやり取りなんかしてるほうがへんなのかもしれない。ずっと部屋で呻いているほうが正しいのかもしれない。そう思う。

 

 

今日は就労移行支援に行きました。人と話して、笑ったり、気を遣って貰ったりしました。朝起きて、一通りするルーチンに、窓を拭く、という行動も加えました。昨夜寝る前に、3冊だけ残した同人誌のうち一冊を読んで、新鮮に面白いことに驚いて、なんだかたまらない気持ちになりました。なんだろう。のめり込む魅力のある世界だったし、だなあ、と思います、同人。もう、とっても遠いけれど。画材はまだ捨てられません。