まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

あれもこれもいらないもの・廊下編

生きてます。

 

10月某日からそうじを始めて、今はそうじにちょっと行き詰りというか、停滞を感じています。

10月から今月頭まで、ひたすらごみや、もう使わないものを捨てたり売ったりしてました。今、捨てるようなものがぱっとはありません。捨てるものがないという落ち着かなさ、なのかもしれません。捨てることへの依存症なのかもしれません。ついでにきれいの維持に労力が必要で、継続的な労力をさかなきゃいけないことへの果てしなさに、生きるの、無理、となっているのかもしれない。自分自身のことなのに、かもしれないが多い。

 

私の住まいは1kのアパートで、リビングが縦長ではなく正方形で、やや収納に困るものなんですが、引っ越し費用や体力が無い&荒れに荒れ果ててどうにも出来ない状態だったので、就職してからずっと住んでます。10数年。

10数年の間、時折、そうだ身辺整理をしよう、と思い立って本を処分したり、服を処分したりした事も確かにあるはずなんですが、焼け石に水で、本と本の山と服の山の間にかろうじて存在する万年床が私の生活スペースでした。ここ数年の実質寝たきり生活の間の記憶があまりなくて、どう暮らしていたのかはっきりしないくらいなんですが、記憶の糸を手繰り寄せると、ひたすら寝てて、とても不自由、という暮らしでした。よく風邪を引いて、ぐずぐずしていた。

 

片づけを始めてから、毎日部屋の写真を撮るようにしました。beforeがあれば、後から見返して、afterでよりはっと出来るかな、と思って。

 

廊下のごみは。動線を邪魔している段ボール3箱(うち1箱は服、うち1箱は退社時に会社から送られてきた私物、うち1箱は休職時に会社から自分で送った私物)。

保存食。保存食の上に乗ってる読んでない本。読んでない本の上に乗ってる、たまに読んだ漫画。床には新聞紙が散らかり(なぜ新聞紙が散らかってるのか記憶がはっきりしない)、新聞紙の上にも下にも小銭が散らばっている。差し入れとして貰ったお菓子やジャムが段ボールの上に、さらに上に重ねられた冬服に埋もれるように置いてある。壊れた炊飯器、壊れたトースターはいつから壊れているのかも判然としない。311の時に慌てて買ったガスコンロとガスボンベは8年間一度も使わず、緩衝材に包まれたまま。会社で貰ったウイスキー。昔買った雑誌。昔買った炭の消臭剤カバー。壊れた洗濯機と壁、洗濯機と棚の間にぎゅうぎゅうに押し込んであるたたんだ段ボール。底に穴があいたスニーカーと、履くと必ず靴擦れが出来るので、捨てようと考えていたアジアンなぺたんこ靴。お茶。ジャムの瓶。冷蔵庫の中には古いチョコレートと古いバター、お土産で貰った甘酒。はちみつ。あほほど出てくる茶さじ、茶缶、急須、割れた茶碗に割れたコップ。

 

廊下の時点でこれだけのものがあり、(クイックルワイパーとサニタリーとモップもあったがそうじ道具は掘り出して洗ったり拭いたりして今も利用している)これらを段階的に捨てていきました。砂時計などもあった。お金が無いので捨てると次いつ買えるか分からないという現実は常にあり、だからむやみに捨てることは出来ず、徐々に徐々に捨てていきました。ものによってはリサイクルセンターや古本屋に持ち込んだりなどしつつ、主に資源ごみだったので毎週毎週早朝にごみを捨てにいく。

 

書きだしてみると改めて全部いらないものだなあ。

すっかり空となった廊下は今はクイックルワイパーとほうきともっぷ以外何もなくなり、なんだか広いな、という現状です。なんだか、広い。なにもなくて、寂しいほどに。