まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

捨てないということ。

生きてます。

 

部屋の中の片づけが大体終わって、ぱっと捨てるものはもうありません。

押入れの中に画材とわずかな画用紙と、一冊分の原稿と、自分の同人誌が一冊、捨ててもいいかもしれないものとしてあるけれど、これを手離したら本当にどこにも後戻り出来なくなりそうで。

 

私がそうじを始めてから、自分に言い聞かせることとして、

『捨てることに依存しない』があります。あるんです。

 

『一年使わずに不自由がなかったら捨てる』という言葉を、おそうじサイトやおそうじ本で度々見かけます。一理あるのだろうなあと思います。でも、私には必ずしも当てはまるとは限らない。なぜなら、ここ一年、二年、三年? 不自由だったから。不自由な暮らしをしていたから。記憶が薄れるほどに寝たきりだったから。動きだしてみたら、ほこりの下から出てきたものが、必要なことがあったし、ある。きちんと保留にすること。ものを持つことから逃げないこと。

ほこりの中から出てきたショルダーバッグを、ほこりを拭いて、干して、拭いて、現在日々使いの鞄にしてます。服の下から出てきた筆箱の中にあったボールペンを、この頃使ってます。漫画用の原稿用紙は使い捨てメモ帳にして、使い切りました。

 

それでも、何も捨てないで一日を終えることが、今、難しい。

捨てないことに不安がつきまとう。

 

片づけを始めた当初、ほとんど毎日、45リットルのごみ袋1~5枚分のごみを纏めていました。週に一回の資源ごみの日、段ボールや本や雑誌の束を出すために、収集所と部屋を3往復くらいした(いっぺんに大量に出しては市も困るだろうから、小分けにした為週を跨いだ部分もあるけれど)。売れる本は売ったので、毎日古本屋に本を数十冊持っていった。駿河屋のかんたん買取を利用して、2箱分の同人誌を送った。懐かしい服を捨て、差し入れで貰ったお菓子(密封されたものです)を捨て、もう縁が薄くなった友人に貰ったおみやげの缶バッチを捨て、貰ったクリアファイルを捨て、お香のセットを捨て、茶缶とお茶を捨て、毎日毎日部屋からものを出してました。

 

バッグがひとつありました。就活用の黒いバッグでした。

捨てるか取っておくか、ずっと保留にしておいた就活バッグは、十年以上前に買ったものでした。角がひしゃげてどんなに力を入れてももとの形に戻らなくて、汚れも取れなくて、そんななのに数週間悩んで、捨てました。

 

捨てたらもう次を買うお金がない。就活バッグは代用に出来そうな鞄が出てきたから捨てられた。

『次必要になったら買う』品が無いけれど、現実の問題として、そんなお金はない。いつ就職出来るか、わからない。ボールペンのストックが何本あったっていい。使い切って捨てるくらいでいい。服だって、寝込んで、ろくに動かずにいた数年と、動いていくこれからとで同じ枚数で間に合うわけがない。

 

部屋にハンガーラックがひとつあって、服を掛けてます。うち数枚は、年単位で着てません。これでも半分以上、着られない服として処分しました。『初めておしゃれを意識して購入した、きれいな色のスカート』は十何年も前のもので、ブランド自体今はもうないものでした。写真を撮って捨てました。

 

10月から、今月初めごろまで、ずっと何かしらを捨てて、あるいは売って暮らして。

 

もう、すぱっと捨てられるものがないんです。

そして、捨てないと、気持ちが安定しない。

おおがかりな何かをしないと、また止まって、落ちて、寝込む生活に戻ってしまうんじゃないかという、一種強迫観念。

 

色んな汚部屋ブログを読みます。皆どこをゴールにしてるんだろうって思います。

一日で片づけを完了させた人は、次の日何をしたのだろう?

 

ゴールが見当たらない。依存しちゃだめだ、と分かっているのに、捨てない生活を送られる気がしない。

 

今日はクリアファイルを3つ捨てました。

朝起きて、燃えるごみをまとめて捨てました。

フローリングをクイックルワイパーでそうじして、布団を干しました。

「他に何か、捨てるものが無いか」なんて、焦るような気持ちを落ち着かせようと、しています。この先の私、どう生きるんだろう。依存症になりたくないってずっと思ってきたのに、案の定、依存症に近づいている。今月頭に抱き枕を捨てて、もう何年も使ってるから捨てるっていうのをとても素晴らしいアイデアのように感じて、長い間サンキューと言ってごみに出したのですが、抱き枕を処分してから、腰が痛い時に腰の下に置くクッションも、もうだめだあとなった時に抱えて安心する大きなかたまりも、私の部屋にないので、目覚めがいまいちよくありません。生活能力がひくい。大事なものまで捨ててしまう。どう大事だったのか、不備が出てから気づく。もし、画材を捨てたら、私いよいよどうなるかな。底を見るのかな。どうしようかな。筆、いい筆なんですよ。