まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

あるオタクの感情が絶えていったこと。

生きてます。

 

文章にすると、わかることがあるんだなあと思います。

2日前、https://kukuri-san.hatenablog.com/entry/2019/12/21/150652 はまだ自分が「オタクか元オタクか」で揺れ動いてたけど、文章にしてみると、わかりました。私のオタクは「元」がつく。

 

 

ここ数年、ほとんど寝たきり生活でした。色々なものから離れ、元から荒れてる部屋が、荒れた先が見えな過ぎて、部屋が片づかないから死にたい、ぐらいの状況まで荒れ果てました。数年の記憶はかなりあいまいで、どうしてたかというと、医者と市役所以外どこにも出かけずにじ……っとしてたんだったじゃないかなと思います。確か。記憶がはっきりしないけど、じ……っとしたまま、しんどい、とか考えてた気がします。病院にも予約した日に行けなくて、当日になって延ばして貰うことがあって、それでは薬が足りなくなるから、「二週間後に来てください」と言われたら、予約は十日後の平日にする、とかしてた。

 

私はオタクでした。 

 

じ……っとしてると勿論絵も漫画も小説も書けない。

 

私は絵を描くことが好きでした。幼稚園のころから絵を描くのが好きで、小学生の頃は絵を描くことと本を読むことが好きで、中学生で初めて同人イベントに行って、お小遣いでラミネートカードを買って、自分でも描き始めて、(この間痛々しくも青い様々なこと)、社会人になって、どれだけ忙しくても、時間が無くても、絵を描く時間や文章を書く時間は確保して、二次創作のサイトを作って、本を出して、pixivに公開して、本を出して、二次創作同人専用のツイッターで絵を投下したり交流したり。よくいる、二次創作オタクでした。

 

じ……っとしていると、何も出来ない。

書けないだけじゃなくて、漫画も小説も読めない。

 

ツイッターも人が沢山いて、沢山いる人たちの、なまの声を読むのは、人によるものだと思うけど、私はかなり体力や気力を必要として、しんどい。今まで楽しいを共有してた人たちの、『楽しさ』を受け止められない。

 

二次以外にも誰に見せるわけでもない自分用の創作漫画を描いてたりしましたが、これも描けなくなってました。描けないものは描けないんだから、仕方ない。

 

『萌え』とか『エモ』とか『情熱』とか、琴線が完全に死んだな、という感じです。どこで死んだのかはっきりしないけど、琴線が死んだし、根っこにも何にもなくなっちゃっている。だから、読んでも、見ても、感じることがほとんどない。

 

年を取ったオタクが新しいものを摂取出来なくなっていくっていう話をネットで読んだことがあります。

いい年齢だし、加齢もあるんだろう。古いものにも心が動かない、どう好きだったかよく思い出せない。飽きた、とは多分違うような気だけはする。

 

-数年前の話。

私はあるイベントに参加してました。休職したてで、時間とお金はあって、休めば回復して、仕事に行けるんじゃないかなと軽く考えていたかなんかして(記憶が曖昧)、無理もしたかもしれない、居場所が欲しかったのもあった、とにかく本を一冊出しました。

サークルで、8時くらいに入場して準備する。本を並べて準備してるけど、どうしてなのか、ぜんぜん楽しくない。開場する。拍手で始まる。人がたくさん会場に流れてくる。足が勝手に震えだす。11時を過ぎたころ、スペースを出て、買い物に行く。チェックしたサークルさんの本を買う。お金を使う時の一瞬のテンションの上昇が僅かにあって、でも、楽しくない。なんだ? と思ってるうちに、買い物を半分も進めないうちに、冷や汗と吐き気がやってきて、歩く度に足の震えがひどくなって、おとなしくスペースに戻ってちょっと座って休憩したのち、撤収しました。終わったら友人とごはんに行く予定で、断ってしまって申し訳なかった。予約を取ってない事は救い。電車に乗って帰宅しつつ、途中、あまりにも気持ち悪くて、一旦途中下車したりして、天気がいいなと思ったことを覚えているので晴れた日でした。それが最後のイベント参加です。帰宅して、持ち帰った袋から買った本を取り出して、『具合は悪いけど、これだけは読みたいなあ』とサンプルから一目ぼれしたはずの一冊に、何も感じなかったことも覚えてます。休んで、寝て、翌日読んでも何にも感じない。面白いとか面白くないとかではない。紙にインクでかかれているなにか。義務のように読み終えて、完全にやばいのですが、たまたま、ちょっと合わなくて、私に合わないだけかも、とか考えて通販で合計7千円くらいの本を注文して、届いて読んだらこれもまた何も感じない。無の7千円。もとい、7千円を、私が、無にしてしまった。

 

これだけ拒否反応と無でいっぱいになっていても、今年どころか先月になるまでスケッチブックやクロッキー帳やネタ帳を捨てられなかったの、なんでなんでしょうね。最新の本はまだ手元に一冊ある。またいつか、書けるようになるってどっかで思ってたのかもしれない。捨てたらもう完全に戻れなくなるって思っていたのかもしれない。どこにって、『同じものを同じように、各々の好きなやりかたで好きでいる人たち』がいる場所に。だけど、もう根本的な『好き』がないから、私は戻りようがないのだろう。

 

どこで感情が絶えたのか、虚無がやってきたのか、思い返してもいまいちはっきりしないのだ。

 

今日はベランダのそうじと、台所の蛇口のそうじをしました。

雨上がりの日なのでそうじしやすかった。