書かない人はどこに行くのってどこにも行かない。
生きてます。かろうじて。
私はオタクです。
元がつくかもしれない、オタクです。
オタクには色んな種類がいるわけで、どっち方面のオタクかというと、同人誌を手に取ったり絵を描いたり文を書いたりして楽しくなる方面のオタクでした。
2019年10月某日、悲惨な部屋を片づけだす前。この時点でもう、ほとんど、『同人』そのものから離れていました。
それでも、片づけだしてしばらくの間、部屋には、スケッチブック・クロッキー帳・メモ帳の類が所狭しと積まれていました。スケッチブック類のほか、画用紙・昔の自分の絵・昔の自分の小説・昔の自分の出した本・ネタノート。PCのオンラインストレージには参考画像やメモ帳のスクショ等。
きっと、この先使わないだろう。けれどどうしてか捨てられないままでいた、様々なもの。同時に使う未来が見えない、ネタ帳。本を出さなくても今はpixivがある。書いたらpixivで公開してもいいじゃない。そう思ってたけど、形にしてない端書。
溢れたものを抱えつつ、もう、オタクじゃないな、オタクじゃないのかもしれないな、と、大袈裟かもしれないけど空虚のままに、徐々にものを捨てていく。
自分の感情が動かなくても焦らなくなり、自分が焦らないことを認め、アウトプットの為に急いでインプットすることも、沢山インプットすることも、しなくていいな、と思いきるところまで思いきった。これは大きかった。
疲れていたし。
疲弊に未練がくっついて抱えっぱなしにしてた沢山のスケッチブックやクロッキー帳や自分で出した本。一気にでものによってはスマホで写真も残して、ふたつきくらいかけて、処分する。
今、私の部屋には、ごくわずかな画材、一番最新の本の原稿、メモ帳かわりに使い切るクロッキー帳、日記代わりの4コマノート、しか残ってません。
同人誌の在庫も、一冊だけ残して、あとは全て処分しました。
こんな本を作ろう、こんな話を描こう、とメモしておいたノートを大量に手離して何が残るかと言うと、けっこうガチで、何も残りません。
茫漠とした、空間だけ残ります。自分の一部を捨てちゃったなあと思います。
自分の一部だったけど、もう気力も何も残ってなかったし、もう無理だったし、部屋から同人関係のものを処分しなければ、部屋はどこまでも紙に埋もれていくだけだって痛感してたし、止むをえなかったんや。と自分に言い聞かせつつ。
姿を消した同人書き手って、どこに行っちゃったのかなというのを、オタク歴が長くなるとたまに考えたりしてたのですが、私はどこにも行かなかったです。
もう同人はやらないなあと自分に納得して、おしまい。
楽にはなりました。
縋ってた趣味のようなライフワークのようなものから遠ざかってもまだ生きる。
ただ生きる。まだ生きている。