決定的な破綻のきっかけ、洗濯機。
生きてます。
数年前、うつで仕事を辞めました。
だいぶブラック気味ではあったけど、それでもすぐに退職というわけでなく、一年休職させて貰いました。休職するように声を掛けられた日、私はぼろぼろのタイツの穴の部分をセロハンテープで止め、汚れたシャツを着て、化粧ひとつもせず、およそ社会人を名乗って許されないような有様でした。
その日に限らず、数年前の私はいつもそんなふうでした。
知人がいうには『近々死んでしまうIT系技術屋ってこんな顔をしているよな、と思ったが、何も言えなかった。おそらく医者に通っているだろうから。出来ることはない。ただ、死んでも驚かなかった。』、顔色と表情でいたらしい。
食事らしい食事はとっていませんでした。
牛乳を飲んで、ビタミン剤を飲んで、お茶を飲んで、たまにパンを食べて。
家の中は荒れ果てていて、本が積み重なって山となり、紙が本の山の間に挟まっていたり、散乱したりしている。服は段ボールの中や洗濯かごの中で層になっている。まるで人ごとのような書き方になってしまうけれど、記憶がおぼろげで、どう生きていたか、今一つ思い出せないのです。
そもそも、新卒で就職して、すぐに心身に不具合が生じていました。
上手く眠れず、体も震え、すぐに落ち込む。怯みつつ精神科を訪ね、薬を処方して貰って、日々ほとんど絶え間なく希死念慮が背中に寄りかかり(振り返るとこの希死念慮は度合いとしては弱めだったような気がする)、なんとかかんとか働き続けていました。
原因は何だったか。ブラックぎみの環境、凝り固まった人間関係、はけ口が必要らしい部署の上司や現場、希望通りではなかった仕事、シンプルに仕事の量の多さ。自分の能力の低さからくる、仕事のミス。ミスによる、自己嫌悪。元々の性質。一言でまとめるなら自分の能力の低さと、環境の負の乗算。
それでもだましだましで働き続ける事が出来ました。なんで転職しなかったんでしょうね。十年以上、働き続けていました。
決定的にダメに、つまりタイツをセロハンテープで止めてしまうくらいにんげんとしてダメになったきっかけは、
今思い返すと、『洗濯機が壊れたこと』だったんじゃないかな、と思います。
ある日、洗濯機が壊れました。
脱水が出来なくなり、洗濯しているとがたがた言いながら水を溢れさせるようになり、ついに振動するだけになった。
買いかえればいいじゃないか、という話だと思うのですが、当時既に部屋が荒れ果ててました。買い替えるお金は、無くもなかった。
1kの台所の隅の洗濯機置き場は、本や新聞や壊れた炊飯器や保存食や、諸々が邪魔をして、引き取って貰う為に人を部屋に入れられるような、新しく設置する為に人に入って貰うような状況では無い。無いと思って、けれど、気力は湧かなくて、諸々を片づけることは出来ず、そのまま。
どうしたかというと、手洗いでしのいでいたのです。
しのぐには限界があり、同じ服を着ていたこともありました。時々、コインランドリーに行って、アウターや大物を洗う。コインランドリーはアパートから遠くて、滅多に行かない。しんどい時は気力が湧かない。歩けない。
洗いたい時に、洗いたいものを家で洗えない。
これは実はかなり憂うつで、しかも、原因が誰でもなく自分である為、自分の不甲斐なさをいちいち反芻することになることでした(です/現在進行形/でも今はコインランドリーまで歩くことがかろうじて出来る。)。気持ちはどんどん底に落ちていき、シャツは手洗いの限界でどこか汚れが落ち切っていない。酷いものです。職場でも迷惑だったと思います。
生活の一切合切を放棄して、本を買って読むだけ。本は山となり、ますます廊下や部屋を覆う。
壊れた洗濯機の中に、いつ入れたかもわからない服が重なっている。
どうしようもないな。
と、毎日思いながら過ごしていると、精神がいつも崖っぷちを走っているようになって、もう、生活はごろごろと転がるようにだめになっていったのでした。
決定打が洗濯機だっただけで、洗濯機を買い替えられない、という精神状況、片づけられないという状態になってたので、既にもう人としてどっか壊れてはいたのでしょう。
実に壊れた洗濯機を、業者に引き取って貰ったのは、先日。2019年12月某日です。荒れ果てた部屋を片づける、目標のひとつがようやく済みました。
新しい洗濯機を、その内買います。
無職が長くお金が無いので、中々家電を買う踏ん切りがつかない。でも、あると無いとじゃ、きっと違うだろうから、私の場合は。