起きてる間は夢を見ない。
生きてます。
本日は朝のルーチンに洗濯をわりといい感じに取り込めたような気がします。
顔を洗う→タオルを使う→使ったタオルもあわせて洗濯する。の流れがあるといい。
なんだか頻繁に洗濯している。
水道代が心配なのだが、なのだが、昨日出先から家に戻ったら、干していた洗濯物が物干しごとベランダに落ちていたので、畳んでしまうのはためらわれたのだった。
私は本格的なうつ状態になる前に、一度体に出ることが多い。
体がむやみに重くなったり、疲れやすくなったり、お腹の調子が悪くなったりすると、落ちる兆候なのだろうと思う。そして今体が重かったりお腹の調子が悪くなったりしている。
思うがだからといって体を休めよう、とか言って寝ると、寝込む暮らしに戻る未来しか見えない。
なので朝起きたら、まずごみを捨てて、軽くそうじをして、布団を畳む。お湯を沸かす。
それだけはするように意識している。今日もだ。
ここ数日夜何度も目を覚ます。
眠りのたびに、夢を見る。あまりいい夢は見ない。ひどい夢だったな、と思って、朝になるとほとんど忘れている。
今日はひとつだけ記憶に残ってる。昔、本当に親密にしていた友人がいた。きれいな子だった。賢くて生活力があって絵がうまくて、人をひきつける子だった。なぜ一時期でも私と友人でいてくれたかわからない(あらゆる友人に思うことだ)。
彼女とは、私が何度も約束を守れないことで、疎遠になった。
疎遠になった彼女が夢に出てきた。夢の中で私はメールボックスを見ていた。未読メールを確認していた。開封済みの就活サイトからの配信メールの隙間に、未開封の、太字のままの、彼女の名前のメールがあった。タイトルは「元気にやってる?」とかそんなのだったような気がする。夢の中の私は思う。彼女はまだ私を気にかけてくれていたのだ。私が見落としてしまったけれど、メールを送ってきてくれていた。私、なんで見落としちゃってたんだろう。メールを開封しようとして、クリックしようとして、はっとする。目が覚める。
私が今使っているメールアドレスを彼女は知らない。
彼女が私にメールを送ってくることはない。
あり得ない。
それで今のは、はっきり夢だ、と認識する。現実の再生でもない。ただの夢だ。
深夜2時近い。なのにカーテンの外が妙に明るい(なぜだ?)。喉が渇いている。水を飲みに起き上がって、水を飲んでまた横になる。なんでこんな夢を見たんだろう? と思う。
何かに夢中になっている人が好きだ。
私が長い間オタク(だった)なのは、『楽しんでいる、夢中でいる』人が、オタクには多かったからだった。もちろん同人サークル付き合いの中に踏み込めば、楽しいだの楽しくないだのどころではないどろどろもあるし、ジャンルによっては原作の展開についていけなくなったり、好きの違いによって人との縁が切れたりもする。そして夢中になってるがゆえに尋常ならざる苦しみ方をする人がいることも私は知っている。
それでも『夢中になっている人』は、面白い。魅力がある。
日常をオープンにしている人が、今の世の中には結構いる。どういう生活をしているか、詳らかにしている人も、動画で明らかにしている人もいる。
でも、どんなに暮らしを丁寧にしている人でも、「一枚のチケットのために一喜一憂」したり「会場でどれだけ心が動いたり」、「本当になにより楽しく感情が動いたり」「とにかく○○のことが好きでたまらない」「見放したいけど見放せない」している人の文章より魅力を感じることは、私は結局ないのだった。
自分が夢中になることはおそらくもうないのだろう、とは思う。体力も無い。
でも何かに夢中になってる人は、どうしても魅力的で、たまらなく楽しそうだ。
時々巡回している同人サイトの日記を読んで、そんなことを思いました。何かに夢中になるのは別に二次元に限らない。羨ましくそして遠い。
支援機関に立ち寄る前に、図書館に行った。
6冊返却して、4冊延長して貰い、4冊新しく借りる。
帰りにまた図書館に寄ろう、と思う。
ついでに無印とニトリに赴いて、室内干しに使える何かを探そう。生きねばならぬので。
追記:ニトリデコホームでよさそうな室内干しハンガーを見つける。買うか迷うとしておく。
追記2:家に帰るとまた物干しざおが落下していた。竿置きがぐらぐらしているっぽいのも原因なのかもしれない。10数年住んでいて一度もメンテナンスがないってことが時々怖くなる。