まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

野菜炒めを作った。

生きてます。

今日、野菜炒めを作りました。

野菜炒め? って感じな話なんですが、袋ラーメンとお茶以外を家で作るのは、実に数年ぶりなんじゃないかなぁと自分で思います。
もしかしたら数年前に一時期、豚肉と白菜と生姜の鍋ばかり作ってたことがあったかもしれないけど記憶が定かではない。

記憶が定かではないけど、おそらく数年ぶりの料理(?)です。
料理って言っていいかどうかも分からないけど。

元々私は炒め物より煮込む派で、油はけんちん汁やおやき用の胡麻油しか用意したことがなかったんじゃ……なかったかな。ちょっと過去の話なので自信がありません。胡麻油だけじゃ不便そうだし、どこかで買ったりしたろうか。

賞味期限が大幅に切れていた胡麻油、醤油、みりん、お砂糖、塩コショウ、鶏ガラスープのもと、お茶っ葉、麦等を去年の大そうじですべて処分して、以来我が家には調味料も油も置いてませんでした。また動けなくなって、使わなくて、余らせるだけなの、きつい、と思って。
たんですが、それはそうとそろそろ自炊したい……毎日食パンとか、卵とか、インスタントココアとかだから体の具合もよくならないんじゃないか……と考えて(すごく当たり前の話な気がする)、今日、サラダ油と塩コショウを買ってきました。100均で。コスパは微妙かもな、と思うんですが、まず使いきるかどうかが非常にあやふやなので、小さいサイズのものです。
そしてスーパーで、『カット済み野菜』(98円)を買い。
去年そうじしたら出てきたきれいなフライパンを熱して油をしいて炒め、ちょっと水を足して飛ばして、塩コショウを振り、器に移そうと棚を見ると駄目になってた食器は捨てたはずなのに、シールがついてるお皿とか、薄汚れた器とかが出てきて自分にがっかりしつつ、薄汚れた器を洗い直したものに野菜を移して食べました。

おいしくない。
これが本当においしくない。
たぶん商品の配分として味のバランスが取れるようにキャベツと玉ねぎの量を調整して甘みを意識してるんじゃないかなぁと思う。だからギリギリ食べられる。味つけがおいしくない。途中で足した水、量半分で良かった。はじめはこんなもんですよ。

ともかく完食しました。
家で野菜を取るの、本当に、久しぶりなんです。だから私にとってはかなりのイベントでした(カット野菜を炒めただけだけど)。
死にきってる時よりかましかなぁと思う。


自炊してたころの自分、シチュー、グラタン、なすの焼きびたし、肉じゃが、けんちん汁、きんぴら、厚揚げを煮たやつとか、野菜を軽く炒めたやつとか、もっと気軽に色々作ってたはずなんですが、どう作ってたのかぜんぜん思い出せません。けんちん汁とか肉を入れてたのか肉をいれなかったのかも思い出せない。里芋を向くのが面倒だったので里芋の存在をなかったことにしてたことだけは覚えている。
ただ人並みとまでいかずともご飯を作ってたこともあるわけで、ご飯を作ってたころは前段階としてレトルトの麻婆豆腐とか麻婆なすとか焼きなすとか焼きじゃがいもとか簡単なのからやってった中学生時代があるわけで、中学生のころの事はわりと覚えてて、ともあれリハビリ気分でやっていきたいです(カット野菜を炒めただけだけど)。
カット野菜を炒めただけだけど、油を買ったり調味料を買ったりするとき、真剣に悩んだりしたんだ。低次元な話で恥ずかしいけど。
前に進みたいです。


今日は一通りの朝のルーチンをやりつつ、曇りぎみだけど今日を逃したら雨な予報なので洗濯しました。午後、社会福祉士さんが家に来ます。


60過ぎた老いた女である私が、売り込みの電話で『奥さまですね?』と断定されてつらい、という夢をみました。出来れば長生きはしたくない。久しぶりに真夜中、0時55分に目が覚めて、3時まで眠れない、気がついたら一瞬だけ寝れてその間に悪夢をみる、とかした。サイレースを削りたいのだが、先は遠いだろうか。うつに入ってるのかな。

フライパン、洗って干すスペースが足りない。
どうしたものだろう。以前の私、どうしてたんだろう。いや、以前の私のことにばかり拘ってないで、今の私で自力で考えてはいきたい。


追記:無駄な食器を処分した。
追記2:残った野菜で再度野菜炒めを作ったらおいしくできた。火加減と水かなぁと思う。
油を買ったので、そのうち目玉焼きとかも作ろうと思う。