誰に問うでもないのだけど。
今、希死念慮が無い。
希死念慮が無いなあ、来ないな、いつ来るんだ、今来てないっていうことは大きいもので来るんじゃないか、と、ずっと戦々恐々としている。
来ないと、来ない分だけ大きくなって波となるのではないかっていう、怯みが消えないのだった。怯みが消えないというか、実際のところ、一時希死念慮が消えていると、ぶり返しは大きいのが今までのパターンなので、警戒して怯えているだけだ。
現在、「死にたい」が無い。
ただ、「生きたい」も無い。
死なない限り生きねばなあというのはあるけれど、「生きたい」は無く、だから、クオリティオブライフの向上(元が低い)を考えたり等はするけれど、根本的なところでの「より良い暮らしをしたい」がまるっと欠けてしまっているので、生きる向きとしては、何もかも焼け石に水なのである。
部屋はそうじしている。洗濯もしている。
そろそろ洗濯機の槽洗浄だとか、エアコンのフィルタ掃除だとか、網戸の水吹きだとかをしようかなあ、と考えている。槽洗浄用のクリーナーを買わなくちゃ。
冷蔵庫に卵が残っているが、牛乳は使い切ってしまった。
「ゆーっくり
歳をとる
くらいしか
できることが
なくって
いつか働けなくなったら
『詰み』…」
「『より良く生きる
現実の人生』とか
どうでもいい
ホナミみたいに
『成功した』
人生とか
もうありえない」
マンガはファンタジーだ。
とても幸福に終わる(と、私は思った)。
母から連絡があった。ショートメールだ。
「様子を見に行かなくて大丈夫?」
見た瞬間、意味が分からな過ぎて、額から変な汗が出た。
来ないでほしい。
彼女が私の様子を見に来たことなんてないのである。私が働いていたころ、私の留守中に勝手にアパートにやってきて、「廊下が散らかってるから中に入る気がなくなって帰った、なにあの廊下」とメールを残して帰っていったことがあるだけだ。
私が寝込みだしてから、「様子を見に」来たことなどない。というか彼女と接触するともれなく悪化するので、接触しないでほしい、と何度か懇願したような気がする、彼女が「なんて冷たい頭のおかしい娘なんだろう、お前は」と電話口で叫ぶ度に、「どうか連絡しないでほしい」と懇願したように思う。最近はそういった懇願が逆効果で、火をつけるだけで、聞き入れて貰えるものではないと分かっているので、「来ないでください」とは返さず「大丈夫」とだけ返した。火をつけるだけだと分かっていても、万が一で聞き入れてくれるかもしれないと考えて願ったりしたのだ。今はもう万が一が無いっていうことを学んだ。彼女に言葉は通じない。私と彼女は会話が成立しないのだ。
母「様子を見に行かなくて大丈夫?」
私「大丈夫。ありがとう」
返信以降音沙汰は無い。彼女は本当に私を心配してるのだろうか?
ずいぶん冷たい返信だなあと自分でも思って、落ち込んだ。
以前ならここで落ち込んだまま死にたいの底にひゅーっと降りていったものだけど、今、障害生活支援センターさんですとか、なんとかにお世話になってて、「相談出来る」という逃げ口があるので、降りてない。
「母から連絡があって心が散り散りなんです、このまま落ちちゃうかもしれない。
彼女が何を考えているのかまるで分らない。」
ここまで書いて、私は冷たい娘ですが、生きていてもいいでしょうか、と、思ってるんだなあと思った。私は冷たい娘ですが、生きていてもいいでしょうか。
今週は就労移行支援に通所します。