まだ生きてる

無職、一人暮らし、元オタク、精神障害手帳2級、荒れ果てた部屋を掃除しつつ、立て直していきたい。生活と記憶の日記。

日記と、20代と見栄と残業代とか。

燃えるごみの日でした。

朝起きて、ごみをごみ収集所へ持っていくと、自動的に目が覚める。
前段階として、リビングのごみ箱の中身の回収、掃除機の中のごみを念入りに捨て(前日にも捨てるので、ほこりを捨てる感じ)、シンクの水切りネットも捨て、コンロのカバーも(これは汚れてない場合は見送ることがある。今日はちょっと汚れていた)捨てる、枕カバーについている自分の髪を捨てる、という動作があるので、『動いてるうちに動けるようになる』ってやつなのかもしれない。
まだ寝たかったなぁ、って気持ちが残っても、寝たい<目が覚めてるとなって体が動く。動くモードになる。

だから燃えるごみは週の半分(週に二回なんである)では量は出なくても、捨てにいくことに意義があるんだな。
と今朝改めて思いました。
ごみ袋30リットル一枚を一人でかつ週の半分でいっぱいにすることは出来ないな、という事実が先日から気になってもいるので、次ごみ袋を買う時は20リットルにしようと思います。

部屋をそうじし始めて、毎日なんらかの紙とか鞄とか雑貨とかをまとめていた時は、45リットルのごみ袋を一日3つも4つも使ってぱんぱんにしてました。
その前の、そうじし始めてない頃は、どうしていたんだっけ? と思う。部屋であまりにも活動していなかったから、ごみもほとんど出てなかった、確か。自炊もほぼせず、生ごみが発生せず、ゆえにか二週間に一回とか、まとめて出していたのだったかもしれない。記憶が朧げである。お菓子の袋だけ捨てていたのかもしれない。
 ※思い出したので追記) スーパーのお惣菜を買ってイートインで食べて、お惣菜パックやお箸をその場で捨てていた。だから食べ物系統のごみがほとんど無かったんだな。2021.2.11


10月下旬~12月のたしか上旬ごろまでに、『45リットルごみ袋×50枚入り』×2袋を使い切った。作業用のシート代わり、一時的なほこりよけシート代わり等にも使ったりしたので、100枚全部ごみ袋として使ったわけじゃないけれど。紙とか自分の絵とか自分のクロッキー帳とかの他、かつて自分で集めた仕事の資料、自力で作ったファイル、形見のバッグ(壊れてる)形見のセーター(虫に食われている)、形見の旅行鞄(おそらく永劫使わない)も捨てた。後半のものなどよく捨ててしまったな。よく捨てられるな。人として大丈夫か? とは思うんだが捨てに捨てた。一時期『捨てないことへの不安』が自分につきまとってもいた(ブログを確認すると12月中旬?)。段々『捨てない』にも慣れてきた。不安はちょっと残ってるけど。
おしいれの中等を、適宜見直してはいきたい。だが日常的にはもう20リットルのごみ袋で充分そうだ(日記)。


本題。ふと思い返す。
仕事についていたころの私、お金の使い方を間違えていたな。
本を買うということ以外、生活のほとんどを放棄していたといっても過言ではない、とは思う。思うが、ほとんどの他も、交通費や、外食代等にも使ってしまっていた。外食。交際費。ちょっとした飲み会。おしゃれなカフェ。パンケーキ。片道1000円近い友人の家に泊まりに行く交通費・手土産代・食費の一部。オタク友だちとの前入りやアフターでの外食。
『おいしいお肉を仲間で食べてSNSにアップする』ということが必須なのではとか感じていた。
お金を持ってるオタク友だち(私のオタク友だちは大半が、キャリア組か、実家が太くて実家暮らしだった。オタク、特にオフ活動はやっぱりお金がかかる趣味だと思う。私の交流関係は広くないから主語にはしにくいが、人種に偏りは、確かにあった。生活レベルが低くない人が多かった。)が当たり前のようにイタリアンのレストランに寄って簡単なディナーコースにしよう、というのに、うん、と頷いたりしていた。
一風変わったお店に、誰かと一緒に行ってみる、とか、やってた。
私は心から食に興味がある人種ではない。どんなものも大抵おいしい。どんなものも、大抵という以上においしいとは中々感じない。好みの味はあるけれど、それでなければならないという執着もない。食道楽にほど遠いのに、それなりに外食にお金を費やした理由は、たぶん、主には見栄。
『アフターではちょっといいお店に行く』
『オタク友だちに、そこまでのお店に行けない、と言えない』これオタク関係ないな、
『友だちにそこまでのお店に、行けない、と言えない』
『お出かけしたら“おいしいもの”を食べないといけない』
『休みの日には“おもしろいお店”に行かないといけない』
もうほとんど義務感。見栄と義務。わずかの好奇心。
そうやって外食代にお金を使っても、なんとかなったのは、残業代が出ていたからです。毎晩スーパーが空いている時間には帰れなかった。残業代が出る会社だった。
残業で力尽きて、平日はものをろくに食べないで、だから『休みの日は平日と違うようにしよう』という意識もあったような気はする。気はするが、残業のせいというより、かなりの配分で自分の見栄による行動だったと思う。
今、20代をもう一度やらせて貰えたら、ばかみたいにお金を使わない。

物欲も無くなってるから、ちょっとした雑貨もアクセサリーもおしゃれ着も買わないし、美容に意識が向いてないから、デパートコスメにも手を出したりしない。電子レンジを買う。外食もお泊り会もしない。友だちが減ってもいい。

と思えるのはおそらく20代にお金を使ったから。
収入と照らし合わせると、(書籍代を除けば)ものすごく分不相応とまで言えないラインだったのもよくなかったんだろう。しのげる範囲のたまの贅沢。もし私が本当に食に喜びを見出す人、価値を知る人だったなら、無駄ではなかったと言えるだろう。本当に見出す人ではなかったから、無駄ではなかったと言えないから、悲しい。



たられば。ちょっと思うだけ。
今くらいの、ものにもひとにも場所にも興味や執着が無い状態で20代を過ごしていたら、今の私はどんな私だったろうか。



時々ツイッターを見る。デザインやアイテムがリツイートで流れてくる。
かっこいい、きれいだ、すてき……だろう、とは思う。
手に入れたいとは思わない。持て余すだろうことがはっきりしているし、所持したいという欲もわかない。かろうじて、すてきだ、ということは認識出来る。これはきっとすてきなものだ。



久しぶりに比較的しっかり眠ったと思う。
早朝、地鳴りで目が覚めた。夢見はよくなかったけど、中途覚醒は00時50分に一度と、早朝の地震だけ。
ごみだしをして動き出した。布団を干した。銀行に記帳に行った。布団を一度取り込んで、干しきれなかった毛布を干した。
午前中だけお腹が崩れていた。微熱がある。吐き気のようなものもある。風邪なのか、うつ症状なのか、よく分からない。分からないのでひとまず起きておく。軽く散歩をする。調べものをする。微熱が下がらない。大根を食べてみる。

トイレそうじ、とりあえずちょっとずつごしごしとやっていく路線で進めてます。
今日もお風呂に入れたら年単位で新記録だと思う。入れるだろうか、私。


ブログを読み返すと結構不安定で、いつもぐずぐずしてるので、思ったよりは動けていないのかもなあ。
そろそろ自炊をしたい。自炊をしたいんだが、まな板がない(何年も使ってなくて手入れしてなかった住み始めた時に購入したまな板を先日捨てたため)。
野菜の切り方も忘れてしまった。買おうか…。生活を趣味にしていけば、いいのかなあ。
色々と散漫な日記。


今日もお風呂に入れた。8日連続入浴。何年ぶりかな。わりと嬉しい。