思い出のようなものを捨てるような。
ぐい呑みをふたつ捨てました。
生きてます。
昔、世田谷のボロ市に行くことが好きでした。
何を買うでもなく、着物をながめたり、骨董をながめたり、鞄をながめたりしてました。お餅かけんちん汁を購入して食べたり。交通費、お餅orけんちん汁orおでん代、くらいで一日散歩して充分満喫出来る。
そして、骨董屋の店先で、ひとつ100円で投げ売りしているぐい呑みをひとつ、気に行ったものがあれば、手に入れる。
今は人が多いのでとても出向こうとも思えない。交通費もばかにならない。
ここまで書いて、あれ、私、思ったよりなにかしらに満足したこともあったのだな、と思います。
そういう思い出があったせいかなんなのか、いくつかの焼き物は簡単に処分出来たのに、ぐい吞みふたつだけは中々手放せなかった。
100円で、価値はないかもしれないけど、気にいった柄のぐい吞み。使いはしないけど、机の上に置いておきたかった。
置いておきたかったのに、なぜか、思い切ってしまって捨てました。
捨ててしまうと、「必要ではなかったなあ」と思う。
必要なものなんてほとんど無いような気がしている。
昨日は体調が悪くてお風呂をさぼりました。
調べると、風邪の時にはお風呂はいいけれど、下痢の時にはお風呂に入らないほうがいい、という情報が出てきました。そっか、と思う。
お風呂に入らなかったおかげかどうかははっきりしないけど、昨日より体調がいいです。
朝のルーチンに洗濯を混ぜてみる。
バスタオルが場所をとるので、フェイスタオルに移行しようか迷っている。古いバスタオルなので、洗ってもすこし、におうのだ。
二日連続で出かける。人と話す。
今日お風呂に入るかどうかは迷っている。
追記:お風呂に入りました。お風呂はさっぱりする。
ここ数日希死念慮が失せてて(たまに「あ、死にたい」「つらい死にたい」は来るけど10分くらいで抜ける一時的な「死にたい」)、そのうちぶり返しが来るのかなぁと今から戦々恐々としてます。
体調は不良なのに、精神が、わりと、当社比だけど、フラット。フラットだけど胸のあたりがいつもどこか急いてる感じ。フラットだというのは自己認識に過ぎず、実際はやや躁なのかもしれない。